ギター背負い自転車通勤スタイル

夏場の自転車通勤は暑くて大変。通勤時間が割と早いので炎天下というわけでは無いのがせめてもの救いか。

勤務明けにギターを背負って弾くなり歌うなり出かけるとなると朝からギターを担いで自転車。左利きなのでマイギター持参は宿命。暑さも辛さも格別。ギターを持って出かけるのは常に楽しみなので、そこに心労はない(断言)。

心労があるとすれば会社に着いてから。ギターを背負って社内を歩いていると職場のみなさんに出くわしても目を合わせてくれない。やはり会社にギターを背負って出てくるスタイルはクレイジーなんだなぁ。と実感するところである。山口のロン毛とギター背負い通勤スタイルに目をつぶってくれている会社に感謝の意を表したい。欲を言えば、もうちょっとお賃金を上げてくれるといろいろ機材をまかなえて嬉しいのだがどうだろうか。

効率重視で始めたギター背負い通勤。オープンマイクにしてもライブにしてもギターを取りに帰る時間を費やすよりも、1秒でも早く現場入りするのが良いと思う。オープンより前乗りできれば共演者さんやお店の方に挨拶できるし、MCのネタなんか仕入れられるかもしれない。

自転車のハンドルを握っている関係で手荷物は背負えるだけ。おかげでエフェクターなどの機材はギターケースに入る程度しか持てない。そこは犠牲になってくるのか。演奏スタイルにも影響与えるギター背負い通勤スタイル。んん〜譜面持ってくるの忘れた!

またブログを書くサイクルを作りたいなという話

書ける自分にワイはなる。
何でもいいから執筆する。
書く習慣をつけるために書いていく。
書くために書く。
書きたいことがあって書くのではないあたり、本末転倒のであるが習慣とはそんなものかと思うところも。
書ける自分になるには書くしかない。
書かけない自分よりは書ける自分である。

書くと言う事で言うと、曲も書かないといけない。
これはすでに成立している音楽活動に乗っけることなので、じゃんじゃん書いていって自分を音楽的に確立する、自分の権利を確立をねらう。
すでに存在する習慣と絡めて行動を起こすのは習慣化の常套手段である。

どんどんやるべしなのだが、これがなかなか進まない。
音楽というのは習慣というのとは違うのかもしれない。
文章と曲、二つの「書く」が互いに刺激しあって、文章を書くことも音楽をやることもより良くなってほしい。

ブログは書いたり書かなかったりを繰り返して四半世紀ほどやっている記憶がある。
ギターも気がついたら始めてから四半世紀を超えている。
書くことも弾くことも、やりたいことをこんなにも早く見つけて、続けていたのだなぁと今頃気づいたところ。
それに今頃気づいた自分は不徳の極みであるが。
今気づいたのでまだ間に合うかなぁと思う。
今日からでもどんどん頑張っていこう。

才能とは「人よりうまくできること」ではなく、「つい何時間でもやってしまうこと」という話を何かで聞いて、確かにそういう面もあるかなぁと思った。
一方で、それならYouTubeのショート動画を見る天才たちが世界中にひしめき合っているなとも思う。

才能って何なんだろう。
結局人生の最後に残ったものか、他人から評価されたものが才能として認められるだけであって、自分のやりたいこととは直接はイコールではないのだろう。
ちょっとそれは俗っぽい。
そう考えると、「つい何時間でもやってしまうこと」を才能としたい気持ちもある。
自分のやりたいことと、世の中が認めてくれること(価値)との良い距離感を保っていきたい。

というのはもう少し書けるようになってから考えればいいな!

話がぐるぐる回ってしまった。
久々にまとまった量の文章を書くと、読みやすい文章を書くのがいかに難しいか痛感した。
それでもまたブログ頑張りたいし、音楽も頑張っていきたい所存。
どんどんやっていくほかないかな。
まだ間に合うだろう。